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私がKGKに誘われなかったわけ②

私はとにかく聖書を読むことにしました。
最初は自分が言ったことを正当化する裏づけが欲しくて読み始めたのですが、
読み進めていくうちに示されたのは、


「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。
あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。
さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。」

ローマ2・1


「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですが。
あなたには、何かもらったものでないものがあるのですか。
もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」

?コリント4・7


「愛がなければ、何の役にも立ちません。」

?コリント13・3


「だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、
自分を欺いているのです。おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。
そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、
ほかの人に対して誇れることではないでしょう。」

ガラテヤ6・3~4


「律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、
その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、
いったい何者ですか。」

ヤコブ4・12


「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、
へりくだる者に恵みを与えられるからです。」

?ペテロ5・5


などなど・・・。




私は砕かれ、ただただ悔い改めるしかありませんでした。


何から始めて何をしたらいいかも全然わからないままサマーキャンプの企画を引き受け、
ひたすら祈り、準備しました。

その時協力してくれた人たちも、今思えばKGKに行っている人たちでした。




そのサマーキャンプはとても祝福され、たくさんの学生が救われ、献身しました。

その後、複雑な思いを抱えながらも一緒に学生会の交わりを建て上げ続けてくれた人たちもまた、
今思えばKGKに行っている人たちでした。


とはいえ、私自身はその時一度にすべて変えられたわけではなく、
その後も何度もいろいろな人間関係の中で砥がれてきましたし、
今も変えられなければならないところがまだまだたくさんあるような状態なので、
学生の間はとてもとてもKGKに誘おうと思ってもらえるような私ではなかったのでしょう。



そんな私がなぜKGKの主事になったのかという話は、長くなるので今回は省きますが、
主事となった私を自分たちKGK卒業生の代表として、
祈りと献金で支え続けてくれている人たちの中に、
当時教会の学生会の役員会で一緒に奉仕していた人もいるのです。


今、私がここでこうしていられるのは一重に神様の憐れみと恵み、
兄弟姉妹の愛、忍耐と寛容のゆえでしかないと思わされている今日この頃です
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kgkajito

Author:kgkajito
KGK キリスト者学生会
関東地区主事9年目です

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